hidekivalley’s blog

経営者1年目、結婚1年目、パパ1年目のライフスタイルブログです。

自己紹介④

海外に行くことを決めた僕、

 

英語はめちゃくちゃ苦手、

学校以外で全くやったことがない、

1番の苦手分野。。。

 

 

ディスイズアペン

 

です。

本当ミスタージャパニーズでした。

 

でもそれが良かった!

その理由は後に書きますが、

それが得した!

 

オーストラリアに行くのは1年後と決めていたので、

1年間、お金をためながら、

日本で日常会話ができるようになる!

 

というのを目標にしました。

 

さて、英語を学ぼうと思いまずやったのは、

 

環境を変える!

 

これに尽きます。

 

やったことといえば、

①仕事を変える

②聞く、見るものを変える

③気持ちを変える

④思考を変える

⑤友達を変える

 

などなど、

 

①仕事を変える

日常活動時間のほどんどは仕事をしているわけだから、

仕事を変えなきゃ日本語ばかり話してしまう!

ってことで、外国人BARに突撃、

 

アイウォントトゥワークヒア!!

 

No.

 

アイウォントトゥワークヒア!!!

 

No.

 

って感じで粘ってみました。

粘りに粘って、

そこではないけれど違うBARを紹介してもらいました。

もちろん英語レベル0、バーテンダーレベル0です。

 

それがきっかけで素敵な職場にも出会いました。

そこでたくさんの外国人の方と話すことができました。

 

②聞く、見るものを変える

仕事にも共通していますが、環境を変えました。

家にいるときも流しているのは英語の音楽、

もちろん意味はわかりません。

SNSも全て言語を英語に切り替えました。

これがホンッッッッッッッッット

 

 

ストレス!!

 

いかに日本語依存していたかがわかります。。。

しかし1週間もしたら慣れてきます。

SNSにも下手な英語で投稿し始めました。

 

 

③気持ちを変える

言語は文化の影響をかなり受けているので、(もちろんなのですが)

適当な性格の人種が話す言葉は適当なんですよ、

ルールはあるんだけど、絶対に守らなきゃいけないわけじゃないし、

細かいことを示す単語がそもそも存在しなかったり、

 

だから、

英語を話す人の気持ちになることが大切です。

(これめっちゃ重要)

例えば、

どういたしまして、

心配ないよ、

もちろんさ、

などなど。。。

いろんな言葉をオーストラリアでは、

No worries.

 

だけでカバーしています。(これほんと)

何を言ってもだいたい、

No worries.

といえば間違いない。

ってくらい!

 

だから気持ちをオーストラリア人にする努力をしました(無理だったけど、少し理解はできたつもり)

 

④思考を変える

 

先ほどの気持ちを変えるとは大きく違っていて、

これは結構難しいし、

しんどいんですが、

 

頭で考える言葉を英語に変えてみました。

 

あーお腹すいたぁ

Ah I'm hungry...

 

今日何食べようかなぁ

What do I eat for dinner...

 

みたいに、頭の言語を英語に切り替えました。

すると出てくる言葉ももちろん英語になります!

間違えていても気にせずとにかく英語にする。

 

どうしてもわからない時は

ルー大柴です。

わからないものはわからないので、

分かる所だけ英語にします。

 

めっちゃ道混んでるから遅れます。

Ah...Very very street...many many car! だから、すこしLateします!

みたいな感じ。

 

そして、

帰ってから今日言えなかった部分を調べます。

すると、本を読んで勉強するよりも、

 

 

実際に必要な英語が身につく!

 

はじめの方に書いていました、

英語が苦手だったのが得したというのはここ!

もともとたくさん英語を知っていて、

正しい英語を知っていたとしたら、

どの英語が本当に自分にとって必要かわからなかった!

 

それに

 

文章を先に考えてしまって言葉にできなかった!

 

言いたい言葉はその瞬間に出てきます。

 

日本の英語教育は

文章を覚える

発する

 

ですが、

本来の日常会話では用意している文章があるわけではありません。

そこで、

発する(ミスしても)

文章を覚える

発する(カンペキ)

 

になるわけです。

 

 

そして⑤友達を変える。

 

ここは少し寂しいような気もしますが、

 

昔から一緒にいた友達もとても大切なのですが、

今の自分にとって大切な友人が生まれながらの友人とは限りません。

僕は運良くたくさんの素晴らしい友人が子供の頃からいますが、

 

英語を勉強することを「何を今更」という友人と一緒にいては決して成長しません。

ビジネスをしている時に「それより最近あんなことがあってしんどかった」

「疲れて、仕事辞めたい」

「最近つまらない」

などの言葉を発する人と一緒にいて、面白いことが浮かんでくるとは思えません。

 

英語に関していえば、

一番いいのは外国人と友達になることです!

僕は職場の日本人たちと「ENGLISH CLUB」というのを立ち上げて、

飲み会は絶対にENGLISH ONLYのBARなどにしました。

そうすることで、たくさんの英語圏の友達も増えて、

次第に英語レベルも上がって行きました。

 

今でも英語は完璧じゃないけど、

1年間お金をためながら、

日本で日常会話英語を学ぶという目標は完璧に達成しました。

 

 

自己紹介⑤へ続く

自己紹介③

テレビの仕事なんて人生で絶対やらないだろうなぁ。。。

なんて思っていました。

 

それで現場に行ってみると、

そこには今某サッカー選手と交際していると話題の某女優さんの姿、

 

衝撃

 

ゲイノウジンダ...

 

はじめは感動していたのですが、

そんなこと考える余裕がないくらい使いっぱしられました。

とにかく走って走って、

走りまくりました。

 

訳がわからないから走っていたら

「うるさい!走るな!」

と怒られました。

 

それくらい走りました。

 

そのままのらりくらりと5年ほどテレビドラマのスタッフとして働いていました。

 

同時に俳優も続けており、

劇団に所属しながら舞台を中心に活動していました。

 

スタッフのつながりからドラマ出演もすることができました。

 

しかしある時、

 

ん?

このままでいいのか?

 

と思うようになります。

テレビの仕事はとてもやりがいがあるし、

俳優業もとても楽しい。

 

けど、

まだまだもっと楽しいことあるんじゃないかって思うようになったのです。

人って欲が出ますね。笑

 

冷静に考えてみたんです。

僕は背は低くて、女優さんと並んでも小さいんです。

それに小ささが気にならないほどインパクトのある外見でもないんです。

天才的な才能があるわけでもなくて、

(絶対にこれは落ちるわけがないってオーディションに落ちたのがきっかけだったのですが)

 

このまま頑張ったら売れるかもしれない。

 

しかし、

 

なんでもできる20代にその時間を使っていいのか?

 

と思うようになりました。

だって俳優さんは50歳からでもできますもん。

 

もちろん20代にしかできない役はありますが、

20代にしかできない役をするために俳優をしているのではありませんから。

 

ドラマがある時はとにかく走りまわって撮影をして、

ドラマがない時は夜中までバイトをして、

舞台がある時は仕事を休んで舞台の稽古をして、

 

とにかく余裕がありませんでした。

 

そこで決意します。

 

よし、

 

絶対にやらないと思っていることをやろう。

 

いくつか候補を挙げることにしました、

上京する、

教師になる、

ボランティアをする、

漁師になる、

農家になる。

 

などなど、

 

しかし僕が選んだのは、

 

 

 

海外!

 

ということでオーストラリアに行くことにしました。

 

オーストラリアに決めた理由はあったかいから。

 

それだけ、

 

自己紹介④では英語の勉強法について。。。

続く

自己紹介②

ダンサーになりたくて、

(モテたくて)

専門学校に入学を決意するものの、

ダンスだけじゃなくていろんなことに挑戦したい!ということで、

タレントコースというふわっとした学科に入学。

 

ダンスやお芝居なんかを勉強しました、

 

中でもお芝居には熱中しました。

 

専門学校1年の時に「自分で舞台をやりたい」と思い、

学生仲間たちと劇団を立ち上げました。

 

今思うとそこで始めて「運営」ということをしたのではないかと思います。

スッタフを集め、人件費を計算して、

劇場を押さえ、

台本を書き、

衣装を決めて、

お芝居の稽古、

もちろん稽古場の確保、

チケット、パンフレットを作り、

リハーサル、本番。

 

とても大変だったのだけど、

性格上

「自分でやらなきゃ気が済まない」

ということもあり、

ほぼ自分でやりました。

そのおかげでいろんな立場に立つ事ができたので、

たくさん勉強させていただきました。

 

そして、

2年に上がると次は

 

「自分で映画を撮ってみたい」

と思うようになりました。

 

いわゆる自主映画ってやつです。

 

そこでも、

脚本、演出、予算の確保、

キャスト集め、スタッフ集め、

あとやはり大変なのがロケ地の確保でした。。。

 

台本上どうしても学校を丸ごと借りないと撮れないようなものだったので、

(しかもプールも)

必死に探しました。。。

 

アポなしで行ってみたり、

とにかく電話をかけまくりました。

当時ロケーションサービスなんかがあることも知らず、

ひたすら探しまくりました。。。笑

 

それで約50分の自主映画を撮影しました。

コンテストでは箸にも棒にもかかりませんでしたが、

この経験が後々大きな人生の転機になります。

 

在学中学内オーディションを行い、

プロと一緒に産学協同で映画を撮るという企画がありました。

 

僕も見事合格し、

キャストとしてお芝居をしていたのですが、

休憩時間にみんながご飯を食べている時に、

一人プロのスタッフさんのところに行き、

 

「お話を聞かせてもらえませんか?」

 

と声をかけました。

技術も知識もない若者だったので、

(今もですが)

なんとかプロに食らいついていかなくちゃ!という気持ちから、

プロのスタッフの方の考えを少しでも聞いてみたかったのです。

 

そこで知り合ったスタッフの方が某テレビ局のショートドラマで使いっ走りを探している。

しかもその撮影が奈良である。

 

と言うこと。

 

運命の出会いでした。

 

そのことがきっかけとなりテレビの世界に入ることになりました。

 

 

自己紹介3につづく。

 

自己紹介①

ブログを始めてみたのですが、

いろんな方に僕の生き様というか、

これから歩んでいく道も共有していけたらと思いますので、

自己紹介

というか、

今までの経歴を書かせていただきますね♪( ´θ`)ノ

 

1990.2.6 (26歳)

出身地 奈良

職業 会社経営

趣味 カメラ、読書

 

オフィシャルではこんな感じで言っているのですが、

人にはそれぞれ歴史がありますよね。

少しご紹介させていただきますね。

 

小さい頃から身体がとっても小さくて、

ビビりで、人見知り。

 

そんな弱々しい性格を直そうと、

4歳頃から空手をやり始めました。

中学に上がる頃まで続けていたかな?(あまり記憶がありません笑)

 

中学に入って陸上部。

(めっちゃ足が遅かったのですが)

途中からラグビー

(高校までやりました)

 

この頃はもう、体罰とか、そんなの関係ありませんでしたもんね。

スパイクの裏で頭ドーンみたいな。笑

今じゃ完全にアウトですよね。

 

けどその頃についた負けん気というか、ガッツというか。

「あきらめなかったらなんとかなる」って気持ちが、

後々の人生に大きく響いているような気がします。

(やっぱり幼少期の経験って大切!)

 

中学の2年生の頃夏休みの宿題で出ていた全国まちづくり標語懸賞?

に応募して日本一になりました。

コンビニでガリガリ君を買いながら考えていたのを覚えています。笑

 

東京まで母と行って、

当時の国土交通大臣 扇千景さんに表彰していただきました。

なんか訳がわからないけどいろんな人に褒められて、

今までやってきた悪さとか全部プラマイ0になったような感じで。。。

 

高校受験をめちゃくちゃ頑張ってなかなか入れない進学校に入学、

その学校はね、

親がずっと行きたかった学校だったんですって、

 

そんな学校に入学したのですが、、、

 

 

 

中退!

 

だって面白くなかったんだもん。

その時母子家庭だった僕。

 

高校3年の10月に勝手に退学届を出しました。

親に内緒で。

 

事後報告

 

めちゃくちゃ怒られました。笑

 

けど、

しっかり説明しました。

当時すでにダンスを始めていたので、

ダンスの専門学校に行きたいということ、

足りない単位は通信制の高校でとって高校は卒業するということ。

 

通信制高校のパンフレットと、ダンスの専門学校のパンフレットを持って、

母に説得しました。

しっかりと見積書も作りました。笑

高校卒業にかかる学費と専門学校に行く時の学費、

交通費の概算、

奨学金の借り先などなど。。。笑

 

 

 

「納得してくれなくてもいい、

けどもし僕がこのまま普通の高校を卒業して、

普通の仕事をして、普通に生き行ったとき、もし1秒でも

”あの時こうしていれば”

と思ったら、僕はきっとお母さんのことを責めてしまうかもしれない。

だから、認めてください」

 

って母を説得しました。

今考えるととんでもなく理不尽なことを言ってるんですね。笑

 

しかしそこはBIGMAMA

「ええんちゃう?やりたいことやり」

 

とあっさり。

 

当時本当に貧乏で、お金がなかったのに、

そう言ってやりたいことをやらせてくれた母はすげーなって思いました。

 

 

自己紹介②に続く

 

キリがいいのでブログ始めました。

はじめまして。

まずは自己紹介なのですが、

谷 英希(Tani Hideki)

生年月日1990.2.6 26歳

職業 会社経営

趣味 カメラ

 

なぜブログなんかを始めようかと思ったかと言いますと、

今年はとてもいいタイミングなんじゃないかと思いまして。

 

というのも、

今年1月に会社を始めました。

今年結婚しまして、

今月パパになります。

 

いろんなことが初めてなので、

同じように初めての方と気持ちが共有できたらなぁと思っています。

 

そして!

 

今から会社を通していろんなビジネスにも挑戦していこうと思っていますので、

その軌跡にもなればいいかと思います。

 

 

つまるところ、

 

ビジネスブログでもあり。

趣味の写真ブログでもあり。

パパの子育てブログでもあり。

 

自分のライフスタイルを発信していこうかと思っています。

 

失敗も成功もすると思いますし、

考えることもたくさんあるし、

苦悩もあるかと思います。

 

今までは一人でなんでもやっていけると思っていました、

しかしそうじゃなくて、

これからはいろんな方と情報を共有して、

いろんな刺激を受けていけたらと思います。

 

このブログはいろんな意味で実験的なものになればいいと思っています。

 

宜しくお願いします♪( ´θ`)ノ